啐啄の機 1 リーダーは要らない

 六月のある朝
 「先生、文化祭の話し合いはしなくていいんですか、間に合うでしょうか。心配で堪りません。先生、みんなに言ってください、先生が言えばみんなすぐやります」と準備室に来ておそるおそる言う生徒があった。L君、二年生になって僕のクラスになった。周りに話したかいと聞くと、まだだという。
 「聞いてご覧、君と同じ気持ちの生徒がいるはずだ」、数日してまた同じことを言う
 「間に合いますか、心配です」と同じことを言う。話すにもどうしたらいいのかわからないのか。
 「次の授業の時、君が前に出て訴えたらどうだ。僕は遅れて行くよ」
 「僕が言って、聞いてくれるでしょうか」不安げな顔して言う。次の日の授業に遅れて行くと、彼が前に出て何か話して遣り取りが始まっている。廊下で中庭を眺めながらしばらく待った。
 「終わりました」と見たことのないような明るい顔で言う。みんなの前で話し出すのに勇気を絞り出したに違いない。教室に入って
 「もういいのかい、時間あげようか」と聞けば
 「放課後にHRをすることになりました。授業しましょう」意外な生徒が、これまた晴々した声を出す。
 「授業、授業」と授業を潰そうとしない空気がみちて、僕は圧倒されそうになった。何故そうなったのか合点がいかないまま、ひとこと言った。 「全クラス参加というが、無理矢理やることはない。このクラスが参加したくないのなら僕もそれを支持する。もし君たちが参加することに決めても、参加したくない友達にまで強制するのは止めよう、参加しない仲間を咎めるのは卑しい」
 
 この頃僕は授業で何を話していただろうか、選別について怒っていたような気がする。
 その日の放課後のHRを僕はだいぶ遅れて廊下から覗いた。休み時間に相談が進んでいたらしく自作劇をやることは決まって、動きは速かった。
 ・・・夏休みも含めて四ヶ月の準備が始まる。「間に合いますか、心配です」と言ったL君の提案に一斉に反応した。啐啄の機が、クラスというゲゼルシャフトに起こったことが不思議である。
 「クラスに無関心に見えたLくんが、言い出してくれたのが嬉しくてジーンとしちゃった・・・人間は意外なとこが面白いね」とある生徒が言ったことが印象的だった。まだまだ同調しやすい年頃ではある。しかし僕はそれゆえに、いかに早く担任が教室から姿を消すかについて、腐心していた頃だ。
 僕は何もしなかった。何度か練習風景を後からそっと見たことはある。ある時見つかって
 「先生、何かアドバイスして」と詰め寄られ、
 「舞台での会話は出演者同士で向かい合うと変に見えるんだ・・・」と言っただけ。出来るだけ知らん振りをしてみた。HRや反省会の司会・夏休みの登校日程や使用教室の調整・備品の借用交渉・学校が使えないときの場所の手配・会計・・・すべてが僕の知らぬ間に終わっていた。生徒同士の「参加」の仕方・させ方も一様でない見事なものだった。あんなに楽な文化祭はなかった。揉めごともあったが面白いこともたくさん起こった。劇の出来も素晴らしかったらしく、超満員のため、僕は遂に一度も見ていない。
 賞を取ったとか、泣いたとか、感動の・・と担任は書きたがるが、傍ら恥ずかしい。
 文化祭など学校行事は、企画書をいつまでに、ポスターや予算計画をいつまでに等と日程管理と点検の官僚化だけが進んで、生徒たち相互の自然な成長を無視して、啐啄の機をぶちこわしている。虚構の祭り騒ぎで生徒たちが失うもの、担任が見落とすものの日常の価値を知るべきではないか。
  
 「心配です」と言った生徒は、その後リーダーとなったわけではない。ただことの成り行きを傍観者のように楽しんでいた。場面場面でリーダは入れ替わった。リーダが休めば自然に代わりが現れる。アナーキーな秩序が素晴らしかった。誰もが特定の役割に固定されない。誰もが責任と指導性を共有分担する。誰が抜けても、誰が入っても自然に分かち共有して過ぎてゆく。終われば、引きずらずに日常に復帰する。リーダーを引き受けるも降りるも、気が楽である。皆が分担すれば、使命感など要らない、利権も特権もありようがない。こういう社会では賄賂や天下りなどないだろう。

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