1950年代・高校生の政治的力量 京都と高知の場合

 「京都公立高等学校生徒会違絡協議会」は1953年に結成されている。1950年に京都府立高校を卒業した学生は当時の高校生の政治意識を次のように証言している
  「・・・向かいの島津製作所には進駐軍が駐留し、夜になると、塀もなく、窓ガラスも破れ放題の教室に女を連れ込んで、狼藉を繰り返した。・・・市長選挙目前に、立候補予定の高山義三氏に面談・・・選挙戦になると、生徒会役員らを動員して選挙演説を繰り返した。・・・勝手連の走りである。予想通り彼は当選した。・・・アッという間に塀ができ、守衛が置かれ、学校の環境は一新された。・・・学校側にも明確な指導方針が打ち立てられない混乱期だからこそ、自由にクラブや生徒会活動を行うことができた

 京都生徒会連絡協議会は、結成準備会の段階で、授業料値上げを、府知事に撤回させる成果をあげている。昭和25年(1950)には蜷川虎三が知事に就任している。市長選で果たした高校生の役割を考えれば、府知事選には更に広範な高校生の参加を想像することが出来る。
 生徒会連絡協議会は、授業料や市電・市バス値上げ反対運動を展開、1954年の授業料値上げ反対運動には多数生徒が参加し、府庁陳情や議員への決議文送付を行ない、府議会での修正案可決の成果を得ている。高校生が無視できない政治的勢力になっていたことが解る。
 1953年には憲法擁護高校生弁論大会(のちに憲法記念高校生討論集会に発展〉を支援、高校生の集いや新入生歓迎会などの行事を主催している。
 更に、原水爆禁止運動、勤評問題の討論、国鉄学割改定反対運動、伊勢湾台風被害救済活動、全国高校生徒会連合準備会センターの設置、高知の生徒会連合への活動調査団派遣など、多彩な社会的活動を行なっている。こうしてみると日本の高校生もフランスや南米に引けを取らない高校生運動を展開していたことが解る。

   1949年高知県公選制教育委員会は新制高校発足に際し、諮問機関として審議会を設置、県民の声を反映させるべく各層代表から構成した審議会の委員60名の中に、高校生代表5名を正式メンバーとして加えていた。(委員の構成は次のとおり。①地域審議会代表10人、②小中高校長団代表28人、③教組代表4人、④県会代表2入、⑤報道関係・婦人団体・労働団体(各1人)4人、⑥学校組合代表2人、⑦高知市代表2人、⑧学識経験者3人、⑨高校生代表5人 各地域1人合計60人。)
 実は初めは高校生代表は含まれていなかった。そのため、第1回審議会で「高知市内校の自治会委員が審議会に生徒代表を加えることを要望している。審議会委員は一致して生徒の要望を受け入れるべきだとして、即刻教育委員に申し入れた。県教委は合議のうえ、『高校生代表1名を加えること』を決定した」
 高校3原則と全員入学制を答申した高校再編成審議会に生徒会代表が参加し、その意見を反映させたということは、日本の教育史上特筆すべきことで、高校生徒会は県民諸階層の一員として教育政策の決定に加わっている。
 1950年代高校生徒会活動は平和運動とともに発展、全県的な高校生の交流活動が生まれ、生徒会連合を結成しようとする動きが現れた
 1954年結成された高知県高校生徒会連合は、校長会や県教委の積極的な援助も得て、1年以内に全県立高校が加盟し一万九千名を擁する組織となり、①教育施設問題(講堂・練習船など教育設備の拡充)②平和問題(ビキニ水爆実験に抗議、原水爆実験・製造反対、公海自由原則の要求、憲法改悪・再軍備・安保体制反対〉③教育問題(高校全入維持、学テ・勤評反対、被処分校長を守る運動、学園民主化闘争)④経済問題(授業料・父母負担教育費軽減運動〉など多岐にわたる活動を行ない、高校生の立場から様々な社会問題にも積極的に発言した。
 1956年度の授業料値上げに際しては、生徒会連合は10万人署名で反対運動に取り組み、臨時大会での値上げ反対決議文を県教育長と県知事に提出、一万九千名の同盟休校も辞さず、県教委・知事との深夜3時にまで及ぶ直接交渉を行っている。その結果、①授業料減免枠の拡大、②需要費の大幅増額、③来年は値上げせずとの確認を取り付け、早朝6時の同盟休校指令30分前に妥結した。
 
 こうしてみると、日本の高校生もフランスや南米の高校生たちに少しも引けを取っていなかった事が解る。本物の政治交渉を、知事や教育長と行って目覚ましい成果を勝ち取っている。
 僕が、模擬投票を「ごっこ」と呼ぶのはこうした事実を踏まえている。模擬投票には中身がない、政治主体としての自覚もない。我々が考えねばならぬのは「ごっこ」のレベルまで切り下げられた高校生の政治意識・能力についてである。何故ここまでの切り下げを許してしまったのか、嘗められているのか検討しなければならない。
  「ごっこ」に終始して嘗められ切っているのは、高校生だけではない。政府自体が、外交政策・経済政策に於いては米大使館年次要望書に従属、労組は資本との交渉では無視され、日銀政策委員会が政府に従属、新聞は政府の記者会見で質問を控える始末。教員は学校内の事柄を自力で解決する能力を奪われ、抵抗すら出来ない、自らの命さえ守れないでいる。この列島のどこにまともな対話や交渉が行われている場があるのだろうか。


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